第1回「日韓こころの交流」シンポジウム
ソーシャルワーカーの専門性の開発と将来展望
2003年12月8日 韓国ラマダプラザ済州ホテル

基調講演
社会福祉の近代化

阿部 志郎
横須賀基督教社会館 館長
             


棄老から敬老


 昔々、山奥の村で年寄りをいけにえとして捧げる風習がありました。神様への捧げ物として老人を殺したのです。とうとう、村に年寄りが一人もいなくなりました。
 集会所を村で建てることになり、たくさんの丸太が集められました。その丸太の天地、上と下を見分けられる人がいませんでした。これを逆さに立てると大きなたたりがあると恐れられておりました。困った村人に、一人の若者が「もし、これから老人を殺さないのなら、木の天地、上と下を見分けられる人を連れてまいります」と申しました。村人はこれから老人を殺さないと約束をしました。その若者は密かにかくまってきた自分の祖父、おじいさんを連れてきました。この年寄りが村人に木の天地の見分け方を教えました。インドネシアの民話です。




横須賀基督教社会館
館長 阿部 志郎
   この民話には、敬老と棄老、老人を敬うという思想と老人を捨てるという全く相反する思想が混ざっております。敬老と棄老、その葛藤が人類の歴史だったと思います。ときに年寄りを敬い、ときに老人を犠牲にいたしました。
 近代社会は棄老から敬老へと移る努力の時代です。今、私達はその努力をしている最中でございます。まだ、その途中ですので様々な問題や課題に直面せざるをえません。

儒教の国

 済州島にまいりまして、いろいろなことを学んでおります。
私は日本におりますと、電車に乗っても、若者と見られまして誰も席を譲ってくれません。
韓国に来ますとソウルの地下鉄で高校生が席を譲ってくれました。昨日、釜山の空港で、バスで40歳くらいの男の人が席を譲ってくれました。今朝、植物園に行ったら、年寄りは入場料半額です。韓国にいる方がずっと気分がいいです。
 前にまいりました時に、済州島で葬式を見ました。村人がみんな一列に行列を作ります。葬列と申しまして、一列に行列を作って葬りに行くところでありました。もう日本ではこういう光景は全く見られません。ここには共同体があるのです。実に礼儀正しい。お墓では、親、子、孫とちゃんと序列をつけて壺に葬っております。
 韓国も日本も、儒教の影響を大きく受けた一つの結果だと思います。韓国には、まだその儒教の影響があると言っていいのかと思います。

長寿の時代

 だんだん、新しい時代になりまして、私たちの寿命が延びてまいりました。日本の老人福祉法という法律ができましたのが1963年です。このときに100歳を超えた方が153名いました。今年
の9月、100歳を越えた方が2万人を超えました。2万561名でした。10倍、50倍ではなく、100倍以上、100歳以上の方が増えるという、大変嬉しいニュースです。そこで、親と子が一緒に年金をもらっています。親と子が一緒に老人ホームで生活できるという時代になってきました。大変ありがたい長寿の時代の中に私たちは生きております。
 昔は子供が1,000人生まれると、165名が死にました。今、イランがそうです。アフリカには1,000名の中で300名が死ぬという国が、まだあります。日本は4名になりました。最低です。
 赤ちゃんが死ななくてすむ。そこで寿命がだんだん延びる。私どもは、こういう大変喜ばしい新しい社会に生きることができるようになりました。しかし、喜んでばかりはいられません。やはり様々な問題を抱えてまいりました。

恥と浄化

 敬老、年寄りを敬い、弱い人々を守る、そうばかりできないことがあります。平和な時代はなるべく年寄りを大事にしようと誰も思います。でも、戦争のとき、災害が起こったとき、伝染病が蔓延したとき、特に凶作、米や作物ができない、こういう非常事態にぶつかった時にどうするか。米が採れない、誰かが犠牲にならなければならないとします。誰が犠牲になってきたかと言えば、年寄りと子供でありました。口減らしと日本で申します。食べる口をだんだん減らしていく。年寄りと子供がその犠牲になるという痛ましい歴史を私どもは持っております。
 日本にはおばすてと言う伝説が昔からあります。老人を山に捨てに行く。食べることができなくなって老人を棄老する伝説です。日本の年寄りは捨てられる前に家族・地域のために自分で身を絶ったのです。家族の幸せのために老人は自殺をしました。
 今日、日本が今、困っております問題の一つは自殺です。1992年に、日本の一年間での老人の自殺者が2万人を超えました。2万3千、2万4千と増えてまいりまして、今世紀に入ってから3万人を超えたのです。急増いたしました。減りません。アメリカやイギリスでは、自殺者は増加しておりません。日本は増加をしております。その自殺者の35%が年寄りです。年寄りは自ら身を絶たなければならない痛ましい現象に、今私たちは苦しんでおります。年寄りの自殺は今、世界1、2位を争っております。敬老と申しましても、やはり棄老という要素が社会には必ずありまして、この棄老が、敬老というものを大きく切り離していく力にもなっております。
 昔、と申しましても今世紀に入ってからですが、浮浪者、今日のホームレスを東京で隔離収容いたしました。これが今日、また老人ホームとして営まれております。なぜ隔離収容したかと申しますと、東京にくる外国のお客様に見せたくなかったからです。その理由は、浮浪者は社会の恥だからです。問題を持つ人は恥という存在として捕えました。
ハンセン病の患者を島流しにいたしました。隔離収容いたしました。なぜハンセン病患者を隔離収容したかと申しますと、
 当時まだハンセン病を遺伝と考えておりました。ヨーロッパでは、すでにハンセンが病菌を見つけて遺伝ではなく感染病だと思っておりましたけれども、日本はまだ遺伝だと思っておりまして、人々から切り離して島流しにいたしました。そして、その人々を一歩も脱走させない、そういう任務を所長が与えられました。隔離収容した理由は祖国浄化のため、国をきれいにするためと申しました。恥の存在を隠し、その病者を隠して国全体を掃除する。
 今私どもが直面しております、大変大きな社会福祉の問題はホームレスでございます。約2万5千人の人々が日本でホームレスの生活を送っております。
 このホームレスに対して、中学生という年いかない男の子たちが、そのホームレスを襲って殺すという事件がいくつか起こりました。中学生の言い分はゴミ退治をすると言っております。今なお恥、祖国浄化という、きれいにするという思想が若い人々に伝えられていく、流れていくということに私は大変驚きを覚えております。




孤立と孤独

 こうした社会の中で私どもを取り巻く家族というものも大きく変わってまいりました。簡単にいうと3つの変化が起こっております。第1は、一人暮らしの世帯がだんだん増えていく。一人で生活をしている人が増えている。第2は、結婚をしない世帯が多くなっている。結婚をしている世帯が減少をしております。もう1つは、子供のいない家庭がだんだん増えているこういう現象が家族を巡って起こるのでありますが、こうした中で社会的孤立があります。孤立をしていくという問題と、もう1つは孤独という問題が新しく起こってまいりました。
 アメリカに「ボーリング・アローン」という論文が出まして、今国際的にこの問題が論議をされております。ボーリング・アローンというのはボーリングを仲間と一緒にしにいった人々が、一人でボーリングをしていると、こういうことを象徴する言葉であります。おそらく日本でいえば、カラオケ・アローンということだと思います。カラオケに一緒に行きましても、ひたすら自分の番が回ってくるのを待っておりまして、人の歌など聞かないで、そして自分が歌うことだけに満足をするというのはこういうことでして、人がいても独りぼっちになる、こういう社会的孤立という問題と、もう1つ孤独というのがあります。
 私の友人で、長い間会社で働いた人が定年になりました。社長から定年の辞令をもらい、若いお嬢さんからきれいな花束をもらって抱えて、家に帰りました。帰り着いたのが夜中の午前2時。一人で帰れませんで3人の部下に抱えられてご機嫌で帰ってまいりました。一晩寝た翌朝、目を覚まして、愕然とした。今日起きていくところがない。昨日までごく自然に会社に足を運んだのに、今日どこに行っていいのかわからない。今日、会う予定の人がいない。昨日まで手帳はスケジュールでいっぱい、今日から空白、これほど孤独を感じたことはないと申しました。こうした孤立と孤独ということが、今日本では大変深刻になってまいりました。

高齢化

 先ほど、尹、伊藤、両先生の話にございましたように、あるいは、済州島の方の話にございましたように、高齢化が進んでおります。日本の高齢化は、先ほど尹さんが7%から14%高齢化から高齢社会に入るのに25年だったと言われました。フランスは115年かけました。スウェーデンは85年かかった。日本はそれを25年でやった。韓国はどうやら20年、2010年に韓国の高齢化は10%を超えます。2050年に27%を韓国の高齢化は超えることになります。実に急激であります。このスピードがあまりにも早すぎて、対策が間に合いませんでした。
 今世紀の高齢社会に備えるため、今、日本は必死になっております。私はこの日本の失敗を韓国は学んでいただきたい。韓国の高齢化は急激ですから、今からそれに備えることが求められていると思います。幸いに去年、韓国では高齢化の対策が、要綱ができました。そして基本法が今策定されていると伺っておりまして、後ほどのお話に期待をかけております。
ただ、韓国で大変気になりますのは、合計特殊出生率です。一人のお母さんが一生の間に何人子供を生み育てるか、5人でした。韓国も日本も。それがだんだん減ってまいりまして、今、日本は1.32人という数字で最低でございます。韓国はそれよりも更に低くなったのです。1.17人だと思います。おそらく世界で一番低いかもしれません。
 子供を何人産むかは、これは親の価値判断であって自由です。しかし子供の数が減ってきて、ますます高齢化をしていくときに、いったい高齢社会の担い手をどうするかという大きな問題にぶつかるのでございまして、私は、これは韓国の大きな課題ではなかろうかと思っております。

同化政策

 日本社会は1870年ごろ、すなわち明治の時代に入りましてから日本の政策が非常に明確になりました。その政策は、文明開化でございまして、ヨーロッパに40年遅れたと認識いたしました。ヨーロッパに追いつけというのが、日本の明治政府の合言葉でございまして、これが文明開化という言葉で表されました。
ヨーロッパに追いつく場合にできるだけ科学・技術は受け入れる。しかし、文化は入れない。魂は、大和魂でいくというのが日本の思想でございました。
 そして、中央集権にいたしました。一番大きな政策は富国強兵、殖産興業でございますが、産業を興し、工業を盛んにして国を豊かに富ませ、その国を強い軍隊で守るというのが太平洋戦争に至るまでの日本の政策です。
 もう1つ、それは同化政策でございました。韓国と日本の併合が1910年でございます。そして1939年に改名、すなわち名前を替えさせた。この半島に約1,000の神社を造りまして、神社参拝を強要いたしました。同化政策です。
 これは韓国だけではございません。日本国内でも同じでございまして、標準語に同化させたのでございます。地方の言葉をなくさせて子供全部に標準語を教え、標準語ができない子供は大きな恥の札を胸からつるすという事をいたしました。
 この同化政策、これが日本の韓国に対する罪でございます。これは日本の大きな過ちだったと言わなければなりませんし、お詫びをしなければならない点でございます。

ボランタリズム

 しかし、こうした時代の中に、弱い人々を守ろうという一群の人々がおりました。
日本がヨーロッパから多くのものを学んだ。でも、学ばなかったものはボランタリズムでありました。これは大変不幸でございましたけれども、ボランタリズムを学ぶことがなかったのでございます。それは実は戦後も続きまして、戦後50年経ってようやくボランタリズムを見直すという動きが日本に起こってまいりました。福祉というのは政府がするものだと、国家責任だと長いこと考えてきたのであります。
 しかし、このボランタリーなスピリットにたって実践をしてきた人々もおります。
後でお話になる杉村さんの施設は100年前に始まった老人の施設でございます。今日、私の妻もおりますけれど、妻の祖父は110年前に孤児院をはじめました。そういう一群の人々もおります。田内千鶴子さん、尹夫妻です。国境を越えて子供を愛しました。こういう人々が韓国と日本の社会福祉を育て、支えてきた方々だと改めて思わずにはいられません。

弱者優先

 戦争が終わって、大きな価値の変化を日本は遂げました。戦争が終わるまでは、強兵という強い兵隊という言葉に現されるように、戦える人間、工場で働ける人間だけが大事にされました。弱い人間は大事にいたしませんでした。その軍人でさえ、戦場で負傷しますと、今から約80年前までは廃兵と申しました。廃兵といいますのは捨てるということです。軍人でさえ戦闘能力がないと捨てられたのであります。
 今は知恵遅れとか知的障害と言う言葉を使いますけれども、この子供たち、ここに私は言葉を書きましたけれどもなんと呼んだか。「痴」というのは痴呆の痴でございます。愚かで鈍い、こう決め付けたのであります。
 強い者だけを大事にするという考え方が、戦争が終わって変わりました。変えたのがアメリカの占領軍でございました。アメリカの占領軍がまいりまして、日本の軍隊が隠していた様々な食料物資を放出、配給いたしました。
 誰に配ったか。子供、年寄り、障害者、施設、病院、小学校でございました。米国から、救援物資を民間団体が日本に送ってくれました。13のアメリカの民間団体が日本に救援物資を送ってくれました。この救援物資も小学校、社会福祉施設、病院優先に配ったのでございます。小学校では、ここから学校給食が始まりました。すなわち、弱さを持つ人を優先させるという新しい思想が戦後、日本に導入されることになりました。

法制化

 こうしたことから、弱さを守る、それを法制化いたしました。社会福祉で申しますと、福祉の3つの法律、さらに基本になる6つの法律を、戦後十数年の間に作りました。医療は医療法という法律を作りまして保険、医療、福祉を充実させ、社会保障を実現するということにエネルギーを注いできたのであります。
 貧しい時代でございましたので、福祉の柱は2つでございました。1つは生活保護、もう1つは施設を造ると、この2つが主な考え方でございました。
 簡易保険、簡易年金という言葉がございます。すべての国民に年金、あるいは保険の対象にするという、簡易、すべてという言葉でございまして、すなわち社会保障を普遍化させる。みんなに行き渡らせる。そして平均化する。誰でも同じサービスを受けられるようにする。施設を増やして問題があれば施設に入れるようにする。そして、医療も福祉もだんだん機能化しました。専門化してまいりました。
 こうして専門職というものがだんだん座ってまいりまして、韓国の発展ほどではありませんが、日本も福祉の専門職が展開をされました。
 医療も同じ、日本には47の県がございますけれど、その全部に医学部を作って医者を養成するということを今日しているのでございまして、専門職を育てました。

反省

 制度がだんだんと発展し、国民がその恩恵を受け、それによって生活を支えられるということになってまいりましたが、そういう中で、私自身の反省でございますけれど、このソーシャルワーカー、あるいは民間の施設の立場にたったときに弱点がございました。
 それはすべて役所に依存をする。役所から言われたことはする。言われないことまではしない。そしてすべて財政的にも補償してもらう。それを決める国、日本では霞ヶ関というこれは中央の省庁がある住所でございますけれども、みんなが霞ヶ関を見るようになりました。霞ヶ関中央の省庁でどういう政策が立てられるか。何が決まるか。どれだけ予算が増えるかということに一喜一憂するということになりまして、中央を見て自分の足元の地域を見ない。こういう姿勢がいつのまにかできてしまいました。
 行政に依存しますので、どうしても上と下という垂直的な関係が主になってまいります。サービスを供給する、サービスを提供する側が中心でございました。サービスを提供する都合によって利用者がそれに合わせる。俗に言えば靴に足を合わせるという意識をだんだん強めたのであります。保険、福祉、医療、そのサービスに住民の側が適応せざるをえない。
 そうしますと、仕事をするソーシャルワーカーは守りの姿勢になったのであります。あえて外に出て行かない。施設を守る。どんなにニーズがあっても基準が決められておりますから定員がいっぱいになったら受け入れない。城を守るという形でございまして、外に出かけていくという攻めの姿勢を失ってきたというのが私自身の反省であります。

長田区

 ご承知の阪神・淡路大震災が起こりました。6,000名を超える方が犠牲になりました。このとき、行政が動けなかったのです。神戸の市長が、災害状況を把握できるまで12時間かかりました。行政の職員も被害を受けましたので働けなかった。たくさんの人が犠牲になった。
 その一番大きな犠牲を出したのが神戸の長田区というところでありました。その長田区の中で、一つの地区だけ犠牲が少なかったのです。真野という地区だけ犠牲が非常に少なかったのです。その真野地区で救助された人の4人に3人は近隣の人によってでありました。行政ではなく、警察ではなく、消防でなく、自衛隊ではありませんでした。隣の人が倒れた家から助け出したのです。これは大変大きな教訓でありました。
 この真野地区は昔から住民の活動が大変盛んな地区でありました。この真野地区に尹さんの「故郷の家」ができたのです。地元の住民が、ちゃんと在日韓国人の老人ホームを受け入れたのです。それが真野地区でございました。
 行政が機能しない。これを助けたのが140万人のボランティアでございました。どこからともなく140万の人が現れて市民の生活
を支えたのです。こういう経験をいたしました。

地域福祉

 こういう経験をとおして、社会福祉基礎構造改革というのに取り組んだのでございます。今までのシステムを変えなければならない、新しい時代にふさわしい新しいシステムを作ろうという、これを大変硬い言葉ですけれども社会福祉基礎構造改革と呼びました。
 この基礎構造改革というのは先ほど申し上げたサービスを提供する、サービスを供給する側を中心ではなく、サービスを受ける利用者・住民を主体にしていこうと、住民がサービスを選択し、選ぶ、自分でそれを決定するというシステムに切り替えるというのが大きな転換点でございました。
 住民は今までサービスの受け手でございました。その受け手の住民を担い手に変えていくということでもございます。そしてその基盤を地域というものに求めました。地域福祉という言葉がここから登場してまいります。できるだけ在宅のサービスをしていこう、地域というのは福祉のニーズが生まれるところでございます。生まれるところならば、その第1次の解決はその地域で図ろう。こういう考え方でございます。
 今まですべて国家政府に依存をしていた。それを変えて、まず住民が、自立をしよう。自分の生活は自分で守ろう。守れなければとなりの人と助け合おう。この助け合いで解決できなければ国民が連帯をしよう。それを支えるのが公的責任、行政の役割ではないかという新しい思想にたったのでございます。
 ニーズが起こる。そしたら、誰であれ、まずそのニーズを解決すべき努力をしよう。解決をしている間に公と 私、公私が役割を分担しようではないかという新しい思想にたつわけでございまして、この社会福祉の専門家、法人だけが仕事をするのではなくて、地域のあらゆる資源を動員してニーズを解決しようと、そこで民間の産業もここに参入をするということになってきたのであります。

福祉文化

 この基礎構造改革で注目をしていただきたいのは、そこに福祉の文化の創造という考え方を取り入れた点でございます。福祉の文化の創造、福祉というのは与えられるものではなくて、自分たちで造り出していくものという思想を根底に置いたのでございます。
 それでは、福祉の文化とは何かということを私なりに申し上げたいと思います。
 第1は、人間観です。今までは私どもは毎日の生活を送り、若いうちは人生の山を登ってまいります。そこに何らかの支障があって歩けなくなる。そうすると山小屋に入って休みなさいと言う。もう山なんか登る必要なんてありませんよと、一生ここで暮らしなさいと言って老人ホームを造りました。保護したのです。上から下へと保護を加えたのです。
 これをどう変えるか、人間の生涯というのは上りと下りに分かれるのではなく、最後まで上り坂一本しかない。その坂を登って登って、登りつめたその先に死が、その死と言う最後に至るまで、誰しもが自分の人生を歩んでいく、それにそっと手を添えよう、それを支援、サポートという言葉で表すのでございまして、保護するという考え方からサポートする、支援するという、これは人間の人格の完成に向けて支援する役割がソーシャルワーカーにあると、こう考えるのでございます。




 第2に、弱さというものを、今までは恥と考えました。家族の恥、社会の恥、弱さを恥じない社会を作らなければならない。人間誰しも強さを持つと同時に弱さを持っております。強さを伸ばし合い、弱さを補い合う。その弱さを決して恥としない。その人らしい人生を送れる、そういう社会にすべきではないか。
 ここに専門職としてのソーシャルワーカーの果たす役割が生まれてまいります。ソーシャルワーカーというのはサービスをする人でございます。しかも、謙遜に人に使える人でございます。この謙遜という字は英語でヒュミリティといいます。謙遜でございます、謙虚でございます。ヒュミリエーションという言葉がございます。ヒュミリエーションという言葉は大変興味深いことに恥をかくという意味なのです。恥をかく。これはヒュミリエーションでございます。
 言い換えるなら恥をかいた人。弱さを恥とののしられた人のその恥を共にみまって歩く。恥を共有する人こそソーシャルワーカーでなければならないのではないか。ソーシャルワーカーは、そのためには高い倫理に立たなければなりません。
 ヨーロッパで昔から尊敬されてきた職業が3つあります。医師、弁護士、牧師、この3つであります。医者、弁護士、牧師、3つとも高い学歴を必要といたします。そしてこの3つの職業人は、それぞれの地域では知名人でございます。もう一つ、大切な共通点があります。この3つの職業の人々は、肉体的、社会的、精神的弱さを担う人なのでございます。人々の持つ弱さを共に担う。それがこの専門職でございまして、ソーシャルワーカーはその同じ系列に属します。弱さを担いますと、弱さを利用し、弱さにつけ込むことができます。それをしない。それがソーシャルワーカーの倫理でございます。ソーシャルワーカーが高い倫理に立たなければ、社会はその人々を尊敬はいたしません。
 1889年にハワイのモルカイ島で、ラミレイ神父がハンセン病に感染して亡くなりました。ラミレイ神父はベルギーの出身でございます。ベルギーでは、軍艦をハワイに送って遺体を収容いたしました。その船がベルギーの港に帰ってまいりましたとき、それを迎えたのはベルギーの国王でございました。私は、これが福祉の文化だと思います。人のために生涯を捧げた人を国をあげて感謝し、その人を支える文化、私はそれが福祉の文化ではなかろうかと思います。インテグレーション。この意味は一人の人格でございます。

ヒューマンサービス

 視覚障害、盲人の年寄りの施設が日本にはたくさんございます。盲人の年寄りだけ入る施設でございます。最近、私は視覚障害者に会にまいりまして、こういう話を聞きました。
 私どもの、盲人の施設の立っているこの思想的な根底は聖書にあります、と仏教の方がおっしゃいました。聖書のヨハネ福音書というところに、「この目が見えなくなったのは本人の責任か、親の責任か」とイエス・キリストは問われるのです。誰の責任か、とキリストは「神の栄光の現れるため」と答えられたとあります。日本では昔から盲人という障害を持つということは、因果関係だと考えてまいりました。障害をもった子供が生まれると、嫁の家系が悪いと嫁が非難されたのでございます。親の因果が子に報いる。それから開放してくれたのがこの聖書の言葉ですと言われまして、私は大変心を打たれたのでございます。
 様々なしがらみ、様々な関係から、一人の人間が真実の自由な人間として独立をし、開放される。それが人格でございます。この人格を持つ。そしてその人格は仏教の言葉で生病老死でございます。生まれて病気をして老いて死ぬ。人間の苦しみでございます。一人一人が様々な苦しみを持ちます。それを今までは分断をしまして、私たちは機能的に捉えてまいりました。病気をすれば病院に入院をさせる。家族がいなくなれば老人ホームに入れると、人生をばらばらにして対応したのでございます。しかし、人間は人生を持つ全体的な存在でございます。ポリスティックな存在でございますから、その一人の人生を大切にしてそれに対する専門のアプローチをする側がきちんと連携をし、チームを組んで総合的にサービスをすべきではないか。すなわちサービスの統合化ということが、私はこれからの目標だと考えております。それを私はヒューマンサービスと言う言葉で表しているのでございます。

一握りの米

 韓国の地域の福祉館にまいりました。玄関を入ってまいりましたら、玄関の横に壺がございました。その壺は、蓋を開けますとお米が入っているのです。その福祉館にくる方が一握りのお米を持って瓶の中に入れるのです。そのお米が必要な人は、そこからお米を取ってまいります。互助米と書いてございました。誰が入れるか、誰が取るかわからない。匿名でございます。しかし、入れる人と取る人の間に信頼関係がなければそれは成り立ちません。助け合いでございます。こうした一人一人が自立をし、助け合いをしていくということが地域の原点であり、また福祉の出発点でなければならないだろうと思うのであります。
 仏教に日供という言葉がございますが、日々供え物をする、日々供養するという意味でございます。日供という仏教の言葉の意味は、家でお米をとぐときに一握りだけ別にしておきます。毎回一握りだけ取っておく。お坊さんが来ればそれを差し上げる。災害が起こればこのお米を寄附するのです。
 たった一握り。私は、福祉というのは、新しい文化をたてるためにお互い一握りの米をさいて蓄えてそれを寄附することではないか。キリスト教では「一番小さな貨幣を捧げましょう」という言葉があります。たくさんの貨幣を捧げなくてもいい。たった一つのコインを貯めて捧げましょうという運動を起こしておりますけれども、福祉というのはいっぺんに変えることはできません。私ども一人一人が、一握りの米、最小のリーストコインを捧げるということから起こっていくのではないのでしょうか。

 英国の有名な言葉で、日本では新渡戸稲造という国際人がおりまして、日本の5千円札に顔が載っている人でございますけれども、この新渡戸稲造が一番愛した言葉でございました。「急ぐな、休むな」急がず、休まず、一つ一つを積み重ねていく努力をお互いに払おうではございませんか。◇

                           (見出しは編集部で付けました)