1928年、韓国が民族受難の時代にあった日本植民地時代。キリスト教伝道師尹致浩(ユン・チホ)が木浦で、7人の孤児と共に生活を始めた。貧しい生活の中、共生する孤児が増えていく中、朝鮮総督府の官吏の娘として木浦にいた日本人、田内千鶴子が尹致浩の活動に共鳴し、共生園での奉仕をスタート。やがて2人は夫婦になり、大勢の孤児らの父と母になった。だがその後、子どもたちの食料を調達に行った尹致浩が行方不明に。遺された千鶴子は夫の遺志を継ぎ、韓国に留まり56歳で生涯を閉じるまで3千人もの孤児らを育てあげた。
千鶴子の思いは長男の尹基(ユン・キ、現こころの家族理事長)に引き継がれ、韓国では共生福祉財団として発展。
日本では、尹基が理事長となって在日韓国老人ホームを作る会、そして社会福祉法人「こころの家族」が活動、祖国を離れたお年寄りにふるさとのぬくもりをを感じせる老人ホームを建設するという、画期的な試みを続けている。
田内千鶴子の生涯は映画「愛の黙示録」(1995年)で広く知られることになった。