日韓国交正常化60周年に想う 

「海の向こうに高知が見える」
韓国孤児の母と慕われた母・田内千鶴子は、戦後も韓国にとどまり夫が行方不明になった後も孤児たちの世話を続けたが、一人高知にいる老いた祖母を案じていた。
共生園の前の海を見ながらその思いがほとばしった。国交断絶の1958年頃のことだ。

祖母への思いが通じたのか、その後、終戦で引揚げた木浦同窓生たちが運動して千鶴子を日本に招いてくれた。
母はNHKテレビ[私の秘密]に出演して、祖母に再会した。
このニュースは韓国にも流れ、朴正煕大統領の耳にも入った。
そして、1963年8月15日独立記念日に、反日の韓国で、韓国政府は母に日本名・田内千鶴子で文化勲章国民章を授与した。
母は、「この賞をいただくのは夫です。私は夫の移し身です。韓国政府が日本と仲良くしたいという思いが込められています」と、日本の各界リーダーたちに伝え、お話しして廻った。母は、日本と韓国の交流を誰よりも願っていた。
1965年の日韓国交正常化に陰で影響を与えたことは間違いない。

「お母さまの国に行ってみたい」
あれから60年。母は、1968年に永眠した。
振り返ると、父・尹致浩が、子どもたちに笑顔をとはじまった音楽は、母を通して子どもたちを笑顔にさせ、母亡き後も合唱団となり、「お母さまの国に行ってみたい」という女の子の素朴な願いが日本に渡って交流する夢を実現させた。
共生園と再活院には水仙花合唱団と舞踊団があり、今も子どもたちに笑顔を運んでくる。
今秋には、この合唱団・舞踊団が故郷の家のお年寄りを訪ねてやってくる。

社会福祉法人こころの家族   尹基(Tauchi Motoi) 2025年5月1日

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