1984年に在日韓国人老人ホーム建設を呼びかけた。
当時、国や府、市の補助金は全くなく、多くの苦労を経て、
1989年10月31日、大阪・堺市に「故郷の家」 第一号が誕生した。
その竣工式に、募金委員長を務めた俳優の菅原文太先生が、令夫人の文子様と共に駆けつけてくださった。
一階から三階まで施設をご覧になった後、先生はこう語った。 「私も入りたい故郷の家です。尹さん、ありがとう」
その言葉に大きな拍手が沸き起こった。あの祝辞は単なるお世辞ではなかった。
まさに故郷の家のビジョンであり、応援歌となったのである。
当時「仁義なき戦い』『トラック野郎シリーズ』で国民的スターだった菅原先生は、
「動かない日本」という山を動かしてくださった在日の大恩人である。
晩年は山梨県で有機農業に取り組まれ、夫人の文子様が今もその志を継いでおられる。
故郷の家は日本で先駆的な外国人高齢者福祉の実践場として歩みを重ねてきた。
36年の経験はノウハウとなり、国際社会福祉セミナーや研修も実施しながら、施設づくりを少しずつ改善してきた。
しかし、いま最も大きな課題は人材不足だ。 まるで立派な観光バスにスペアタイヤがないような状況である。
職員は命をかけてコロナ禍を乗り越え、高齢者を守った。しかし現場は慢性的な疲労とストレスを抱えている。
それでも私たちは「ここなら自分も入りたい」と誰もが思える施設であり続けたい。だからこそ菅原先生の言葉を繰り返し伝えている。
故郷の家の定員の10%を地方出身の学生や留学生の宿舎に活用できないだろうか。
非常時には支え合える共同体となり、高齢者の喜ぶ顔が浮かぶ。役所とも相識してよりよい福祉共同体を共につくりたい。
社会福祉法人こころの家族 尹基(Tauchi Motoi) 2025年9月1日